2019年12月22日日曜日

現在 過去 未来

常に過去でしかない今
それが時の流れをつくりだす
時の流れは過去を集積化させ
瞬間的な今は過去への始まり

過ぎ去りし時間の
圧倒的多さに
気の重い昨今
過行く時は今年だけではない
生まれしときより今迄
過ぎ去った過去がある
過去の集積
生きた証
その量は年齢にほぼ等しい
 
未来はは永遠の謎
<明日の同時刻>
は24時間後の未来で
毎日やってくる未来か
永遠にやってこないか
どちらかだろう  



2019年11月27日水曜日

花物語

一輪挿しがトイレを飾る

床の間に花を生ける
庭にドウダンの花が鈴なり

生垣には花のマチエール
カーポートにはお天気草が咲く
花が語る
花が語る
花の持っているシチュエーション

ある時盲腸炎で入院した
部屋の隅が花で飾られる

目の前に
目の前に

花がある

昔昔老人が灰をまいた
花を支えるカリウム

またある時庭で新聞を燃やした
バラの根元に灰をまく
咲き乱れていたバラが
清楚な感じになり
忘れるころ咲いていた

パイプ

紫煙と競って
香りが拡散する
マグリットがパイプに言及する
絵画を見れば
多重的な構成
その構成は
キャンバスを砕く
コスモスだから

群衆

都会のホテル
一人閉じこもる
喧噪の中
部屋の窓から見えるのは
ドームに行きかう
人々の群れ
人生のテーマを考えさせる
親しき物何も無き世界で

曇天多しこの地方
晴れ曇り雨
比率は如何
それぞれ
体に浸み込む天候よ
神の采配感じつつ
晩年を過ごすか
バスは何時ものように走り
人の技と自然の技ありて
十全
それで体がもつのかや

2019年11月23日土曜日

春夏秋冬

     春


自然が芽吹き
花弁が開き
蝶が舞う
カメラ持ち出し
チャンスを狙う


     夏


日はカンカン照り
日傘なしでは
外出無用


     秋


空気が澄み
奈良の都を思い出す


     冬


中央線に乗る
凍てつく山波美しき
立ちはだかる山波よ

鉛筆のような人形

    紫煙の部屋

アンティークな部屋
詩人は煙草を燻らせる


    グリーンの中の青空

ここが大都会の中か
青空の地に高層ビル群が図となる
豊かな緑が首を絞める
そして噎せかえる

     
    薄暗がりの握手


公園の中の浮浪者と
美女が握手をする
薄暗がりの中



    鉛筆のような人形


薄暗がりの中の美女は
鉛筆の様な人形であった

2019年11月14日木曜日

不思議

昔私は多摩川で釣りをした
その時使ったエサが
さし
と呼ばれていた
早い話蛆虫で綺麗な所で育ったものである
ある時瓶に詰まった一匹の
さし
が綺麗な蠅になった
酸素供給は小さな瓶の中身だけで

スピン

夕焼けの里で
朝焼けを見た
オレンジ色に照り映えて
雲が光る
横から入る光は
家々を輝かせた
そして午後一時くらいから
私の部屋は温まる
太陽エネルギーの
強さを悟る

テレビでは
原発反対の
シュプレヒコールが上がる
この国のエネルギーは
この先どうなるのか
日が変わる
例えば今日明日の違い
それも太陽系内の
地球の自転によるか

闇が迫れば
夕焼けを残して
太陽が消える
宇宙船地球号は
スピンしていた

ハイスクール時代

人が青春時代と呼ぶのは
何時の事だろう
私はハイスクール時代をそう呼んでいる
スポーツに熱中し
やけに広い青空があった

ジャスパージョーンズのハイスクール時代という作品が
あった

それがユーモラスなobjで
たびたび思い出す
それはブロンズなんだが
靴のつま先部分に丸い鏡が埋め込んであった
何故か誰かがやっていたような気がする

晩秋の興

落ち葉落ちし
晩秋の
部屋にこもりしはもったいなし
外に出れば
アスファルト多き街中
コンビニで
コーヒー一杯飲みし
歩道に落ち葉落ち
踏みつけられ
痛々しき秋の成果

木漏れ日の部屋

西日の射しこむ部屋は
最高だと
友が言う
緑の色濃い
林があるのか
その木漏れ日が
部屋を彩る
部屋は斑模様の
光に満ちる
溢れ落ちた日の光
密やかに

冬眞近かなる秋

冬真近かなる秋
一人住まいの生活
来月が師走とは信じられず
師走の後にくる正月
人恋しく
兄弟の集合に希望をつなぐ

一人の友がたまにやってくる

何故かフランスパンを抱えて
何故か遠いところ    
何故か遠いところ
夢をはせて
私と同じか

晩秋

花開く春を
遠い思い出として
色ずく秋の色
グリーンの変貌は
花開くより激しく
景色を変えた
里山も遠目に色づき
バスからのビューアを
美しく飾る
赤と黄色の鮮やかさが
秋の命か
図抜けた色
それが散るとき
冬になるか

去り行く時間

バスに乗ると
僕は自由を獲得する
暫く何もしないでいられる
窓辺から見える風景が
流れ去る時間を象徴する
春夏秋冬
目くるめくローテーション
僕なんて大したことも出来んさ
と 独りごちる
去り行く時間の堆積
その眺めがいいとも悪いともいえぬ
しかし
量はかなりあるな

2019年11月5日火曜日

夏の一日

外気の熱気水銀柱を上げ
内気の熱気水銀柱を下げ
温度差何度だろう
室内は居心地良し
 
そんな時
友が遠方よりやってきて
玄関でスイカを下げ
笑ている

大玉のスイカは二つに割れ
細胞分裂した
一つを冷蔵庫にしまう
冷たくなったスイカ何年ぶりだろう
ひょっとすると十年以上か
かぶりつくスイカ一つ
二人では大き過ぎた

夏の光

夏の日射しに葉の表を光らせ
葉の色判別しかねる
夏の日射し強く
昔の夏の風景を思い出す
旅に出た山や半島や島
其処ではバリエーションある光あり
そうゆう所を歩いた
そこで響くは静寂さか
あるいは蝶の羽音か

閉店

つらつら
つらつら

アパートの一室
飽きると部屋を出る
コンビニのコーヒー飲みに
(自前のもあるけど)
朝晩に一番星一等星を見かける
たまに通行人に会釈をする
お早う 今晩は
そのコンビニが
閉店となる
その半額セールより
開店を続けて貰いたかった
店の人たちは
何故か楽しそう
うきうきと
何か僕は見落としたか
うっかりと

雨が降るときの空を見たことがなかった
其れに気ずき
盲点ばやりの世情に気ずく
意外性をしきりと強調する人々
クリエイティブな話をしたい人のコンセプト
普通では済まさせない
なんとロスの多い国だろう
ざわざわと

2019年11月4日月曜日

暗雲

友人と散歩せし折
南の空に暗雲立ち込めし
その黒々とした雲は
不吉な事の前兆か
最近世情怪しきにて
一層思いはつのりし
雲の黒い色は
一種異様な色なり
まるで黒い雨でも降りそうな
夕焼け鮮やかなこの地にて
明日はどうゆう天候なりや

ローマの夏

憂いに満ちた日々の後
友人とヨーロッパへ出かける
パスポートの写真が色黒で
アジア人とゆう感じだ
コペンハーゲン経由でローマに
向かった
ダビンチ空港からバスでテルミーニ駅着
近くのホテルに泊まる
ホテルの部屋には
観音開きのガラリ戸があり
夏の暑さを凌ぐ
そして駅の前一帯はぴんころ石でおおられている
其処をジプシーの子供が走る
長い歴史はその石に轍の跡を刻む
ゲーテの馬車も其処を通ったであろうか
そしてモーツアルトも

2019年8月16日金曜日

風強き
向日葵揺れて
埃舞い
春一番春の嵐

外に出れば
光に溢れ
過ぎ去りし
冬も思い出さず
毎年待ち望む
桜の花よ

一足早い山桜
可憐が命で
故郷に咲く
 
 
 

春の岬

昔から幾多の船乗り
眺めしや
岬の先端に灯台在り
まるで幾何学の線のように
開く入江
灯台の足元に蜜蜂の群れ
雑草の群れ足元に

消失

限りなく夜が深い
寝しなに
自分とは
自分とは
問うこと限りなし
問いの怖さは
どこから来るのか
自分が世の中と共に消失するよう
何か
何か
別のもの

それが自分の消失か


心の遠景

誰しも思い出は遠くにあり
その遠景は
茫漠として形にならない
人の一生とは
人の一生とは
過去の時間の地層
たまに出るアンモナイト
化石化した時間
思い出の中の友人たちは
どうしているだろうか

草と月光

雑草の息吹溢るる
広っぱで
子供が遊び撓むる
昼の息吹溢れる所
子供溢れる
夜になり月光の溢れる所
街灯あり
月光の光似合う所あり
マグリットの絵のように

2019年8月15日木曜日

草の上

世の習いに雑草つよしの感あり
その逆も在る様
雑草生い茂りし折
グリーンに変わりはなし
芝生あれば其れもよし
地を芝生として其処に何が似合うだろう
桑の木に囲まれた広い芝生が
空に映える

足柄山

森の中
足柄山を歩く
人工の堰清く
水勢い在りし
冷気漂う夏だから

凧の糸

風強き
選んで畦道走ってみれば
どんどん上がるは
兄の凧
糸にテンションかかりつつ
 
冬の地面はざくざくと
子供が遊び
糸をひく

我が凧回転するだけで
上がりもせず

椿

病院のOTルーム
小高い山の手前
椿が咲く

小高い山の上
林立する樹木たちよ
葉を落とし光を射してやれ
裏から見る立面図
 
その面白さよ

庭のどうだん

幼き日のボタン雪
冬なのに
暖気を感じ
犬が喜ぶ
庭に固まるどうだんつつじは
丸く刈られて
それを迎える
樹氷めいた枝が輝いていた

庭のプラタナス

小さな小さなとき
私は3本のプラタナスの葉陰で育った
2本使えばハンモックで寝る
後は子守の背でねる
長じてみればそこは物干し場と化した
師走も押し詰まると
枝降ろしが私の役目
それを終えた時
晦日の安息
正月来るぞ待つぞ
少年時代

庭の銀杏

昔々
大きい銀杏
何故ここにある
その太さは2人で抱えるか
秋来る折枯葉散る

さらさらと

その黄色は絵の具で出るか
鮮やかな黄色
暫らく後に消える掃き清められて
 
ざわざわと

天空光

天頂を中心に広がる
雲の広がり
遥か地平線までも
その中にすっぽり収まる
天空光
光の強さはどこまでも均質だ
四季あれば
どの季節が似合うだろうか
梅雨空のどんよりする空とは
違う
春先の曙か

2019年8月14日水曜日

冬と夏

冬に期待するもの
精粋さと言葉にしてみた
まるで雨で汚れ落ちした
空気を求めるよう

昔々白馬岳に登った
登山口から2時間でついた
大雪渓の空気がそれか
 
大雪渓にはクレパスあり
落石あり
頂上に着き山小屋あり
そこで落石による訃報をを聞いた

幼き少年は笑っているだけだった

浜にてのおしゃべり
二人での会話が途切れる

つゆとも気づかず

凪の持つ静けさ
赤道直下における


先行き待つものは?

難破船

アパートの一室
たまに外に出て
外気と馴染む
三等船客の住人は
近くのコンビニの常客だ
国の行く末なんて文字化できない
見上げれば電線が青空を二分し
上が八分で下が二分だ
いつも気になる電柱
無くなることは永遠にない

この辺は郊外だ
青空と曇りの数をたしても
365日にならない
その他の日、雨雪
その日がきつい
しかし雨は何かを流してくれる
雪は綺麗だが
貧相だ

ふと故郷を思えば
青空が広い

2019年8月8日木曜日

無題

齢を重ね
日々の暮らしと面接をし
選んでゆくもの
減らず

勿論意義のある
人生の目論見

それを携え
やるべき事が出てきたか

冬の旅

冬近づくにつれて
山岳地帯は雪を被り
冬のただなかでも
遠目では変わらず
凍てつく空気を通し
山並みは屹立する壁だ
平面を二分すしその向こう側には
なにがあるのか
その山並みは石をカットしたようだ
 
中央線は山梨へ入ると
勝沼駅がまっさらの地面
背筋が少々寒くなる
その昔はワインの産地として
知られたのに
事情が分からず
八ヶ岳が目的地とすれば
道すがらの風景

寒々とし
それでも山並み美し

山並みの美しさは日本離れをし
富士の山より美し

2019年8月7日水曜日

希望

暗きトンネル抜けて
ハッとするは<雪国>ばかりでは無く
人の心にありし

この構図を使いし作品
数多きと思いし
辛き心の先に希望なくば
人は生きられぬ

昔昔光あふるる世界があった
いつも晴天と勘違いする
天気があった

現実と思い出の交錯
思い出と意識の中で
探索し
和歌ができた
字数を増やして
詩ができた

私の進行中の現実は
意識中に現実があるか
現実の中に意識があるのか

そのような事実認識は対立なく
私の中にある 

二個と鈴なりの柿

朝部屋を出る
すぐ目の前に広がる風景
冬枯れの前の秋色
そこに置かれた二本の柿の木
一本には二個の柿
もう一本には鈴なりの柿
この差は野鳥の好みか
好まれれば二個嫌われれば鈴なり
そして残り物を食べる人はいない
二個の柿が落ちた時に冬がやってくる
はっきりと
そしてある日一個となり
霜が降りた

葉桜

春爛漫
満開の桜散り始める
過ぎ去りし日々は正にそれだけで
過去の地層の堆積で
それ自身何を語るか
変化をし葉桜の季節
散った花弁の堆積は地層の一つか

落葉樹の山

帰路のバスの中
遠望すれば
落葉樹の山
緑の持つ濃淡が
霞の向こうにある
バスは切通しで右に折れ
昔通った蕎麦屋あり
東京の一地方の感ありて
わが心バスが走るほどの
自由を持ち
不透明な先行きを考える

2019年8月6日火曜日

灰皿

夕焼けの里に
立川から見ると山の中に住む
それでも街道筋は
バスで賑わいができる
ジャズ喫茶でコーヒー飲むには
5,6km 東だ
バスで20分
綺麗なテーブルに灰皿がでる
これだ
最近味わえないのは
昔ヨーロッパへ出かけた
旅先はローマからパリまで
旅のお土産は
リモージュの灰皿
金の模様は
20金とゆうかんじ
只の柄と思いきや
貴重な装飾というわけだ
モダニズム以前の
オーナメントか

遠景

小さい時の自分がいました
遠く西をイメージし
その先がイメージできません
でも西には富士山があると思っていました
富士山に続く道を
絵にしてみました
後々描いた
パースのように

2019年3月3日日曜日

展覧会の絵


フェノメナ<夫唱婦随>

夫婦間の意思決定を多数決の原理で行うこととする。
ある決定に対してyes,no,の判断を夫婦が仰ぐとすると

      夫      妻
   1,      yes                yes
         2,      yes                no
         3,      no                 yes
         4,      no                 no

の4通りである。
1の場合は夫婦両者が賛意をしめす。
2と3の場合は意思決定は不明である。
4の場合は夫婦両者が反意を示す。
よって1と4の場合のみ意思決定が可能となる。
それが夫唱婦随の正体であろう。

2019年2月15日金曜日

小さな石橋

昔住んでいた家の前には川が流れていた。北側の垣根に沿っていた幅2m程の川に橋が架かっていた。御影石の一枚岩で出来ている石橋という訳だ。たたいて渡る程のことも無かったが。遠い記憶の中で、私は橋の上で母親と一緒にしゃがみ込んで、道路を通る車の数を数えた。そして数
を憶えた。隣のお菓子屋さんが釣り銭を間違えないと褒めてくれた。そのような記憶は一番古い記憶に思える。幼児体験の一番古いやつだ。そしてその後に様々な記憶が甦る。高木の欅の中どうだんツツジの脇で白人の幼児が戯れる。幼児は棕櫚の木をターンして往復する。(おもちゃの車で)私は私で相手になるのでもなくプラタナスの陰で何かをしている。東西軸の廊下のの脇は廊下と平行にプラタナスが植わりその間が子供の遊び場だ。兵士の息子は本国へ帰り何をしているのだろうか。歳は
10歳ほどはなれているので、もう60歳に近いだろう。彼の記憶には私の記憶はないだろう。

都市

モダニズムの作り出す都市は
墓石建築の集合と見なされた
ミース、コルビジェがその走りか
最近のTVでは定点観測的に
都市の風景が広がる
暮れなずむ都市の風景は
夜景が美しい
一つのビルが一つの照明器具らしき
その照明器具はスマートさを
競い合っている
電気都市東京

夕映えのある風景

どこの国へ落下するのか
つるべ落としの太陽
山の向うには広大な国がでもあるか
その時私の国の空が赤く染まる
夕映えた空と山々
夕映えたその向うが未知の国
つるべ落としの太陽
その時だけ自転速度が早まるかのよう

我が国の西の方角には
広大な中国があった
地平線のある国
其処での夕映えた風景は
其処からも西の果てに映るだろう

2019年2月13日水曜日

フェノメナ<池>

母の実家の近くに、池があった。水の澄んだ奇麗な池である。池の縁に
紅葉の木が生えていた。縁に生えているせいか、根がむき出し一部水没している。その水没している根元に、カエルの卵が見えた。透明な直径
3cm位の管にぽつりぽつりと黒い点が見える。黒い点一つがオタマジャクシ一匹になるのであろう。その池は実家の脇を流れている河の水源地
であった。母はその河に流されて嫁にきたかのようだ。

母の実家の近くの狭山丘陵に六道山と言う小さな峠があった。六道と云えば仏教に名高い六つの道だろう。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天、以上の六道だ。そこは六つの道が放射線状に出ている所で小さな峠であった。幼児であった私は、そこで土器の破片で遊んだ覚えがある。
ある時六道のうちの東に向かう一道を東に向かった。何道かわからぬが。丘陵に沿って一時間程歩くと多摩湖畔にでた。それが人間道で有れば良いと思う。多摩湖畔はその後絵を描きに良く出かけた。スワニーな
感じの奇麗な湖の湖畔であるから。

2019年2月12日火曜日

フェノメナ<河辺の歌>

少年時代僕はプロ野球の二軍の試合を見に行った
観客は少ない
知っている選手は一人だけ
テレビで見かけた二軍落ちした選手だ
何となく風景を独り占めした感、
そしてそのような野球場の向こう側に河が流れる
多摩川だ
自転車での行動半径の南の果てだ
ある時兄に聞いて釣り道具一式を揃えた
それはフナ釣りをやるためである
そして河にでかける
引きは無かったつまり吊れなかった
その時使った餌がサシと呼ばれる蠅の幼虫である
それは小振りな釣り道具に調度あっていた
ある時瓶の中に入れておいた幼虫が蠅に変わった
それは不思議な現象で瓶の中という閉じた系の中で見事に変態していた
まるで質量保存則は成り立たないかのように
それは立派な体格だった


2019年2月11日月曜日

白い道

フォーカスに向かって 
歩く 
白い道を 
両サイド良く見えぬ 
私の意識は道にだけスポットライトが当たる様 
海抜何メートルか 
信州の山の中 
テニスコート迄白く 
黒土地帯では無い様 
海抜の違いか 
一人歩くその道は 

何に例えよう

2019年2月9日土曜日

フェノメナ<黒曜石>

実家には地名と成っている畑があった 
其処には矢尻がでた 
数にして40個ぐらいであった 
子供時代の宝物である 
打製石器の美しさは見事である 
石は黒曜石 

そして実家の前には 
黒曜石の交易ルートがはしる 

其のルートは奥多摩から山梨へ抜けていた

真冬の花

上空に寒気団押しよせ 
山の表層に花が咲く 
樹氷 
昔、友と蔵王にいったおり 
見逃した 
友はそんなつもり無く 
スキーにいそしむ 
遠出のスキヤーは樹氷をを背にして滑る 
真冬の花は輝き 

スキヤーの顔を黒くする

2019年2月7日木曜日

フェノメナ3

画家の自画像面白き 
髭面の立ちポーズ 
右手にもつはパレットなり 
パレットに置かれた色 
万遍無く 
色の配置少なめで 
実在のパレットと絵の中のパレット? 
双方同じ色であった 

自画像は鏡に写りし自分である?

フェノメナ<万年カレンダー>

ある時ぼくは気づいた 
3647の倍数であることに 
ということは 
一年365日は52週と一日である 
52週は13か月とゆうことになる 
ここで 
一年を13か月と定義づけよう 
すると 
毎年曜日と日付が一致することになる 
それ故毎年同じカレンダーで済むことになる 
ここで気がかりなのは余った1日である 
この処理に関しては 
ケプラー法則を参照すればよい




2019年2月1日金曜日

スピンする 
第三惑星地球に 
闇が訪れた 
宇宙船の如く飛ぶ惑星 
昼夜は光の有る無し 
そして太陽の周りを飛ぶ 
是だけの話が 
古代に解明されていた 
しかしインドの宇宙観は 
四匹の象の上に乗った円盤が 
自国のグラウンドだ 
是を覆すは 
コロンブスか 

ローマにあるエントランス 
それはラプァエロの絵なのだが 
そこからアテネは 
アカデメイヤに飛ぶ 
古代のアテネは 
知育体育の花盛り 

そして闇の中で静まり返る 
パルテノン 
朝日で輝く瞬間を待っていた 
横から突き刺す光あれば 

輝く色は何色だろう 

2019年1月31日木曜日

フェノメナ<台風>

例えば風強き日 
即ち台風で 
屋根が飛ぶ事がたまに在りし 
まるでかすがいなきかの如く 
飛ぶ 
しかし其の確率は多摩川の氾濫する其れの如し 
たまたまに 
風が左から強き折切妻に風当たりしは 
右下がりの勾配の屋根に 
揚力働きし 
風速強まれば屋根が飛ぶなり 

たまには

フェノメナ<走る騒音>

踏切で 
警報鳴り出す時 
車は電車の通過待ち 
その時電車の走行音うるさし 
東西に伸びし線路の脇 
上り電車の走行音 
踏切にやって来る時 
キー上がり 
遠ざかりし時 
キー下がり




フェノメナ<照りつける太陽>

ある時友人3人と大島へ行った 
夜を船で過ごし明け方着いた 
そして当時出来立ての 
遊歩道を歩く 
夏盛の太陽が照りつける 
そこで目を引いたの物が 
ミミズの死骸の山であった 
遊歩道には草地との段差があり 
ミミズは遊歩道に落ちたら 
草地に這い上がる事ができなかった 
ミミズは日干しであった 

ミミズは2次元の世界を生きていたのであった

フェノメナ<自動巻ゼンマイ時計>

かつて 
世界の時計は 
みな狂っていた 
そう考えた瞬間 
電波時計が出現した 
その時世界の時計は 
皆合った 
何年かして地震がおきた 
その際に電波時計が 
通用しなかった 
それで自動巻ぜんまい時計をかった



フェノメナ<砂金>

かつて小川には 
金が出た 
さらさら流れる 
小川に出るのは 
砂金であった 
比重の最大なる物をこすには 
小川の底の砂地を水でこせば良かった 
水で砂を流してしまえば 
砂金がざるの底に残る 
お金には成らない子供の遊びというわけだ 

せせらぎ無き時代欲しく成る小川のせせらぎ

フェノメナ<今昔>

昔昔我が家の畑の脇に 
森があった 
こんもりとして遠くからも目立った 
其の中には 
日中でもヒンヤリとし 
苔むしたような空間に 
水車小屋があった 
ところが今はマンションが立ち 

森が消えた

フェノメナ<完熟トマト>

晩夏には 
収穫を終えたトマトの木が 
横になる 
其の頂部に一個のトマトが 
なっている 
完熟トマト 
水浴おえた子供たちが畑で遊ぶ 
其の一個のトマトの甘みが 
終生忘れられない 
味と成る 
そしてトマトの木は 

一つの素描画となっていた

フェノメナ

曇天の空から落ちる水滴 
雲一つ無いかの様 
影も無き人が傘をさす 
梅雨だから 
色こい影を持つ人も傘をさす 
夏だから

朝日

一方で御来光有りとすれば 
一方で家々の谷間に射す光有り 
散歩がてら 
谷間の光で暖まる 
新鮮な外気に浸され 
体が洗われる 
ぬくぬくとしたダウンコートがそれを助ける 
先だっての件 キンモクセイの香りがしたのに  
今は真冬の感 
そうだろう 

部屋に戻り 
暖房をきかす 

最近買ったばかりの椅子が迎えてくれた

冬に期待するもの

凍てつく冬の空気は 
遠くに見える山のエッジを 
鋭くし 
列車での旅にて 
外を見やれば 
行き先を 
阻むが如く 
立ちはだかる山 
呼吸程よく楽になりて 
山に向かって列車は走り 
目的地は山の懐か 
山の懐には 
炭火在りし 
囲炉裏在りて 
暖をとる配剤なり 
炭火の赤い輝きが 
赤々と具合良し 
山々の色炭火の色 
鮮烈な配置 
コントラスト強く 
鮮やかに 




宴の後


夢中になること 
それは毎日が宴だ 
桜咲きそして散り 
その間変わりなき時間が過ぎ 
今年は今年の風が吹くか 

その時ふと思う 
今年のパースペクティブ 
既に3ヶ月過ぎ 
やっと今年に慣れたか 
ふと先行きの消点は人生の終着駅か 


たまには道中羽目を外し 
宴も良いだろう 
そして今夏盛り 
蝉のはかなさ 
つくずく思う 


冬枯れの欅



          冬枯れの欅

        枯れ葉落ち
        蚕食されたような木々の梢
        冬枯れの欅
        2泊3日で帰った実家で
        空を見上げる

        枝枝にムクドリがたまに止まり
        私は実家に泊まるという訳だ
        昔はこの季節地面は霜柱で固まり
        足音はザクザクと響く

        そして
        松の内は少し御目出度かった
        正月も二日を廻り
        私は自分の部屋に帰る
        帰路の車の中ではベートーベンが鳴った

2019年1月25日金曜日

秋の日



          秋の日

      今日は秋の日
      一日一日秋が深まりつつ
      今日は秋の日
      空気はひんやりして冬まじか
      太陽光線が肌を刺す
      未だに紫外線が肌を刺す
      未だに紫外線が強い一日
      
      今日看護学生が来てくれた
      マンネリ化した一日が消えた



      

秋の蝉

          

          秋の蝉

       晩夏あるいは初秋
       蝉が鳴く
       目の前のプラタナスの幹に
       へばりつくかヒグラシが
       夏からたすきを渡された
       アンカーだ
       ふとプラタナスの遥か向うを思う
       日本の象徴フジヤマが
       腰を据えてるはずだ
       その右手に夕焼けの里がある
       そのあたりに今住んでいるらしい
       今に時を移せば
       蝉の鳴かない世界に生きる
       夕焼けはあっても       
       

2019年1月7日月曜日

夏の日



            夏の日<その1>
     
       目の前の草むらの脇に
       笹が束になり広がっている
       それを見ると実家の庭に出る
       トカゲを思い出す
       戸袋の下にきつい日差しの中
       サボテン間をトカゲが這う
       ちょろちょろと
       その動きは目の動きに似て素早い
       はるか上空には
       入道雲が光る
       思いは遠く異国の地を思い
       目の前のトカゲ一匹を思う

       ふと目を上げると
       鯉のぼりの泳いでいた場所が
       空だ
       その向うに青桐が高くそびえる
       青桐は成長が早く
       他の二本と丁度よく並んで
       三本が天を突くようにそびえる
       左から青桐、欅、樫の木と

       葉は一定のリズムで風に舞うかのよう
       表裏を見せつける
       ぴかぴかと
              <その2>   
                       
       小さな入り江にテントを張った
       半島の夏
       キャンプをしようというわけだ
       そして目の前の海水は役に立たず
       真水を求め
       入り江から少しあがった所、道路迄でる
       其処には水道が来ていて真水がでた
       海の脇とはいえ真水が不可欠という訳だ
       
       南海の赤道直下漂流する一隻のボート
       そこにも真水が不可欠だ
       凪の中
       漂流を続けるボート
       帆は役に立たず
       どこへ行くのか
       偶然発見されるのを待つばかりの運命か
       様々な夏の日