2019年8月16日金曜日

風強き
向日葵揺れて
埃舞い
春一番春の嵐

外に出れば
光に溢れ
過ぎ去りし
冬も思い出さず
毎年待ち望む
桜の花よ

一足早い山桜
可憐が命で
故郷に咲く
 
 
 

春の岬

昔から幾多の船乗り
眺めしや
岬の先端に灯台在り
まるで幾何学の線のように
開く入江
灯台の足元に蜜蜂の群れ
雑草の群れ足元に

消失

限りなく夜が深い
寝しなに
自分とは
自分とは
問うこと限りなし
問いの怖さは
どこから来るのか
自分が世の中と共に消失するよう
何か
何か
別のもの

それが自分の消失か


心の遠景

誰しも思い出は遠くにあり
その遠景は
茫漠として形にならない
人の一生とは
人の一生とは
過去の時間の地層
たまに出るアンモナイト
化石化した時間
思い出の中の友人たちは
どうしているだろうか

草と月光

雑草の息吹溢るる
広っぱで
子供が遊び撓むる
昼の息吹溢れる所
子供溢れる
夜になり月光の溢れる所
街灯あり
月光の光似合う所あり
マグリットの絵のように

2019年8月15日木曜日

草の上

世の習いに雑草つよしの感あり
その逆も在る様
雑草生い茂りし折
グリーンに変わりはなし
芝生あれば其れもよし
地を芝生として其処に何が似合うだろう
桑の木に囲まれた広い芝生が
空に映える

足柄山

森の中
足柄山を歩く
人工の堰清く
水勢い在りし
冷気漂う夏だから

凧の糸

風強き
選んで畦道走ってみれば
どんどん上がるは
兄の凧
糸にテンションかかりつつ
 
冬の地面はざくざくと
子供が遊び
糸をひく

我が凧回転するだけで
上がりもせず

椿

病院のOTルーム
小高い山の手前
椿が咲く

小高い山の上
林立する樹木たちよ
葉を落とし光を射してやれ
裏から見る立面図
 
その面白さよ

庭のどうだん

幼き日のボタン雪
冬なのに
暖気を感じ
犬が喜ぶ
庭に固まるどうだんつつじは
丸く刈られて
それを迎える
樹氷めいた枝が輝いていた

庭のプラタナス

小さな小さなとき
私は3本のプラタナスの葉陰で育った
2本使えばハンモックで寝る
後は子守の背でねる
長じてみればそこは物干し場と化した
師走も押し詰まると
枝降ろしが私の役目
それを終えた時
晦日の安息
正月来るぞ待つぞ
少年時代

庭の銀杏

昔々
大きい銀杏
何故ここにある
その太さは2人で抱えるか
秋来る折枯葉散る

さらさらと

その黄色は絵の具で出るか
鮮やかな黄色
暫らく後に消える掃き清められて
 
ざわざわと

天空光

天頂を中心に広がる
雲の広がり
遥か地平線までも
その中にすっぽり収まる
天空光
光の強さはどこまでも均質だ
四季あれば
どの季節が似合うだろうか
梅雨空のどんよりする空とは
違う
春先の曙か

2019年8月14日水曜日

冬と夏

冬に期待するもの
精粋さと言葉にしてみた
まるで雨で汚れ落ちした
空気を求めるよう

昔々白馬岳に登った
登山口から2時間でついた
大雪渓の空気がそれか
 
大雪渓にはクレパスあり
落石あり
頂上に着き山小屋あり
そこで落石による訃報をを聞いた

幼き少年は笑っているだけだった

浜にてのおしゃべり
二人での会話が途切れる

つゆとも気づかず

凪の持つ静けさ
赤道直下における


先行き待つものは?

難破船

アパートの一室
たまに外に出て
外気と馴染む
三等船客の住人は
近くのコンビニの常客だ
国の行く末なんて文字化できない
見上げれば電線が青空を二分し
上が八分で下が二分だ
いつも気になる電柱
無くなることは永遠にない

この辺は郊外だ
青空と曇りの数をたしても
365日にならない
その他の日、雨雪
その日がきつい
しかし雨は何かを流してくれる
雪は綺麗だが
貧相だ

ふと故郷を思えば
青空が広い

2019年8月8日木曜日

無題

齢を重ね
日々の暮らしと面接をし
選んでゆくもの
減らず

勿論意義のある
人生の目論見

それを携え
やるべき事が出てきたか

冬の旅

冬近づくにつれて
山岳地帯は雪を被り
冬のただなかでも
遠目では変わらず
凍てつく空気を通し
山並みは屹立する壁だ
平面を二分すしその向こう側には
なにがあるのか
その山並みは石をカットしたようだ
 
中央線は山梨へ入ると
勝沼駅がまっさらの地面
背筋が少々寒くなる
その昔はワインの産地として
知られたのに
事情が分からず
八ヶ岳が目的地とすれば
道すがらの風景

寒々とし
それでも山並み美し

山並みの美しさは日本離れをし
富士の山より美し

2019年8月7日水曜日

希望

暗きトンネル抜けて
ハッとするは<雪国>ばかりでは無く
人の心にありし

この構図を使いし作品
数多きと思いし
辛き心の先に希望なくば
人は生きられぬ

昔昔光あふるる世界があった
いつも晴天と勘違いする
天気があった

現実と思い出の交錯
思い出と意識の中で
探索し
和歌ができた
字数を増やして
詩ができた

私の進行中の現実は
意識中に現実があるか
現実の中に意識があるのか

そのような事実認識は対立なく
私の中にある 

二個と鈴なりの柿

朝部屋を出る
すぐ目の前に広がる風景
冬枯れの前の秋色
そこに置かれた二本の柿の木
一本には二個の柿
もう一本には鈴なりの柿
この差は野鳥の好みか
好まれれば二個嫌われれば鈴なり
そして残り物を食べる人はいない
二個の柿が落ちた時に冬がやってくる
はっきりと
そしてある日一個となり
霜が降りた

葉桜

春爛漫
満開の桜散り始める
過ぎ去りし日々は正にそれだけで
過去の地層の堆積で
それ自身何を語るか
変化をし葉桜の季節
散った花弁の堆積は地層の一つか

落葉樹の山

帰路のバスの中
遠望すれば
落葉樹の山
緑の持つ濃淡が
霞の向こうにある
バスは切通しで右に折れ
昔通った蕎麦屋あり
東京の一地方の感ありて
わが心バスが走るほどの
自由を持ち
不透明な先行きを考える

2019年8月6日火曜日

灰皿

夕焼けの里に
立川から見ると山の中に住む
それでも街道筋は
バスで賑わいができる
ジャズ喫茶でコーヒー飲むには
5,6km 東だ
バスで20分
綺麗なテーブルに灰皿がでる
これだ
最近味わえないのは
昔ヨーロッパへ出かけた
旅先はローマからパリまで
旅のお土産は
リモージュの灰皿
金の模様は
20金とゆうかんじ
只の柄と思いきや
貴重な装飾というわけだ
モダニズム以前の
オーナメントか

遠景

小さい時の自分がいました
遠く西をイメージし
その先がイメージできません
でも西には富士山があると思っていました
富士山に続く道を
絵にしてみました
後々描いた
パースのように